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2008年12月

2008年12月24日 (水)

ADR中級編(3)

ヒント集

12月23日に中級編3日目を受講しました。特定した課題から選択肢を、ブレインストーミングの手法を使って、創造するというロールプレイから始まりました。調停人役は、それぞれの当事者役から、できるかぎりの選択肢を出してもらうのです。やってみて、課題が抽象的だと、選択肢が出しにくかったり、当事者でないと、具体的な改善策の実効性がわからないことなどを学びました。そんなときは、前に戻って、再度、課題の特定をし直したりしなければならなりません。やはり、調停人の力量がはっきりとわかるのは、課題の特定と選択肢の創造の場面だと実感したロールプレイでした。

「時間がないから帰るという当事者の場合、調停人はどうするか?」「突然、当事者でなく代理人が出てきたら、調停人はどうするか?」「偶然、調停人と当事者が知り合いだった場合、どうするか?」「一方的に偏った合意がされそうな場合、調停人はどうするか?」などの事例を、DVDで見てから、グループ討議をしました。それぞれでの状況が異なりますから、唯一の答えはありませんが、そんな事例を検討したことにとても意味がありました。いずれにしても、調停人は、当事者に信頼されるように中立公平でなければなりません。

ぶっつけ本番で合意書の作成をしました。ADRでの合意書には、執行力はありませんが、行政書士が作成するのですから、裁判の証拠に使われても恥ずかしくない内容でなければなりません。大まかな書式は、イメージできましたが、言葉の使い方などにもっと工夫が必要なことに気づきました。合意書を書くときは、調停も成功ということですから、最後の仕上げということになります。

最後に、中級編を総括して、調停のヒント集が配られました。「調停に備える」から「法律家との連携」まで、85ヶ条のヒントが書いてあります。講師から「これからは、自分で努力して、ヒントの数を100にして欲しい」という応援メッセージがありました。民間ADRは、これからどのように進むかわかりませんが、2,000年以上の歴史のある裁判制度と比べられることになるのは間違いありません。行政書士ならではの調停ができるように、さらにトレーニングを積んで、必ず100ヶ条にすることを心で誓いました。そのときこそ、調停の場に臨めるような気がしたからです。実践的な中級編を受講して、「今年の目標の一つのけじめ」がつきました。

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あなたとわたくし

わが田に杭をさす

私ということばの語源のひとつに、「自分の田んぼはここまでだという境界線を、杭で指し示す」という説があることを知りました。「わがたにくいをさす」から、「わがたくい」、杭が櫛になって、「わたくし」となったというのです。広いぼんやりした、はっきりしない全体から切り取ったものが、私なのです。一方、山のあなたというように、「あなた」は、向こう側で、広いぼんやりした、はっきりしない全体を指します。ですから、「あなた」と私は、反対語ではなくて、「あなた」の中に私も含まれることになります。つまり、「あなた」も含めないと全体にならないのですから、「本当の私」になるには、「あなた」を含めなくてはいけないというわけです。

「私」を表すことばは、日本には20種類以上あるそうです。そして、面白いことに、「私」と「あなた」は、ときどき交換します。たとえば、「われ」という私の一人称代名詞が、「なんや、われ」と相手を示す言葉に換わったり、己という自分を指すことばが、「おのれ、許さぬ」という相手に対する呼びかけに使われるのです。

「あなた」ということばは、広い概念を示しています。渾沌としていて、ぼんやりしているのです。二人称の「あなた」は、人を呼ぶときに使いますが、どんなときにも誰にでも使えます。指示語の「あなた」は、「こなた」の反義語ですが、なんとも境界がはっりしていません。

「大きく言えば渾沌というのは、仏教的にはたぶん{空}に近いのだろうと思います。いろいろな縁によっていろいろな{色}という形を取るのでしょう。それがそのときどきの{私}ということだと思います。私というものに連続性を与えて、一貫したものであると思い込んでいるのは、頭です。実際は、そのときその場の私というか、そのときその場に現象する{からだ}といいますか、それしかないはずですね。」(玄侑宗久)

頭の判断を交えずにからだが感じたことに任せることが、幸せなのです。幸せにひたっている状態こそが、まさに幸せなのです。

「頭でぐちぐち考えないで、からだがわかっている、そのままにしておく。からだ「で」わかるのはそれを判断する頭でわかることになる。からだ「が」わかっている。これが私の修行のすべてです。」(板橋興宗)

”<からだに訊け>から引用しました”

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2008年12月22日 (月)

ADR中級編(2)

交渉ロールプレイ

12/21(日)中級編2日目を受講しました。スタートは、1日目の最後に2人1組で行ったロールプレイ分配型交渉についての振り返りです。そのときに「こんなときに調停人がいてくれたら」と感じた組が多かったようです。真剣にその役割を演ずれば演ずるほど、自分の主張に拘ってしまうからということでした。「共通の事実」とそれぞれの側の「秘密事項」を渡されてのロールプレイですが、お互いにかけひきするので、なかなかまとまらないのです。その後の講義で、最初に過大な金額を提示すると、アンカリングといって、決着した金額との差を損したように感じてしまうという交渉での心理を学びました。要求金額と落としどころが近づくようにするには、すぐに金額を提示しないことが大切だということです。調停人がいることで、金額を提示しない交渉が可能になるのです。

分配型交渉を学んでから、総合型交渉をロールプレイしました。そこでわかったのは、「自分の本音はいいにくい」「相手の本音はわからない」という2つです。だから、調停人が必要になるのです。ロールプレイを通じて「交渉の先に調停がある」ということが実感できました。ロールという役割をプレイすると、交渉している当事者の気持ちになることができます。当事者の気持ちをわからなくては、調停人にはなれないのです。

調停人が唯一できることは、プロセスコントロールです。たとえば、交渉が暗礁に乗りげたときに、調停をそれ以上進めないで、前に戻すようにします。けっして、無理はしません。当事者の主張、意見、本音を聴く段階に戻ってやり直すのです。そうして、調停で最も難しい「課題の特定」を根気よく当事者と一緒に考えるのです。自主交渉援助型調停の課題は、すべての当事者にとって中立なものでなければなりません。さらに、課題は、将来に向けて、当事者が取り組むことができるものが望ましいとされています。ですから、「課題の特定」が難しいのは当たり前なので、じっくりと取り組まなければなりません。

課題が決まったら、選択肢の開発をします。手法は、ブレインストーミングです。その後、選択肢の絞り込みとリアリティ・チェックをします。リアリティ・チェックは、実効性をチェックすることですが、そこで、はじめて、調停人の専門性を活かしての判断をします。その判断が唯一の場面ですが、行政書士の専門性を発揮する場面もあったのです。

当事者から選択肢が出ないときは、8つの質問が有効です。「相手にやってほしいこと」「自分自身ができること」「今すぐ」「将来」を組み合わせるのです。特に、「相手に今すぐやってほしいことは何ですか?」「相手に将来やってほしいことはなんですか?」という質問には、当事者から答えやすいようです。調停人のトレーニングを受講しなかったら、そんな場面になったときには、乗り切れないかもしれません。さすがに、基礎編とはレベルが違うと思いました。

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2008年12月20日 (土)

ADR中級編(1)

基礎編のおさらい

12月14日(日)に中級編を受講しました。去年の12月に基礎編を受講してから、すでに1年以上経っています。そこで、復習として「自主交渉援助型調停とは何か?」をおさらいしました。日本の裁判所手続では、第三者が介入する場面は、訴訟前の調停(前置と非前置)、付調停、裁判官による和解の3つがあります。民事調停数では、簡易裁判所が圧倒的に多く、地方裁判所の約10倍です。そして、終結では、約50%が成立しています。処理期間は、おおよそ3ヵ月です。現行の裁判所での調停と対比して自主交渉援助型調停を改めて見直すのですから、講義のはじめから説得力がありました。

「和解裁判官になるなかれ」といわれているそうですが、実際には、約30%が和解で処理されています。判決の前に、その裁判官自身が和解を勧めるのですから、当事者には影響力があるはずです。しかし、「判決こそ裁判官の仕事である」という意識も強いようなので、和解に後ろめたさを感じる裁判官が多いということです。

行政書士は、本来、話をじっくり聴くことができるはずです。法律に関するアドバイスをする際も、代理人として法廷に出るわけではないので、話の内容をよく聴いて、わかり易く説明しなければなりません。まして、相談者の頭のうえからの法律評価というようなスタンスは、とれるはずがないのです。だからこそ、促進型の調停を目指せるのです。要は、専門家から考えるアプローチではなくて、紛争の当事者から考えるアプローチを目指すということなのです。

基礎編では、調停人の技法として、パラフレージング(言い換え)、リフレーミング(要約する)などを学びました。難しくてとても使いこなせませんが、トレーニングして身につけなければ、いつまでもアクティブリスニング(積極的傾聴)をすることができないと信じ込んでいました。しかし、中級編では、まず自分の枠組みを揺さぶって、伝え手である相手の枠組みでとらえ、その気持をそのまま受けとめることがなによりも大事だと教えられました。技法は、知らなければならないのですが、相手の発言や行動にきちんと反応する基本が大切ということです。

中級編の講義は、あと2回あります。認証されたら、実際に、調停の現場を経験するのだからという熱い気持ちで講義をしてくれています。「製造物責任があるから、講義に熱がこもるのだ」という冗談にも、講師の真剣さが感じとれます。その思いに答えられるようになるには、きっと時間がかかるでしょうが、せめて熱意だけでも負けないように受講したいと思っています。

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2008年12月17日 (水)

育成編効果測定

場違い?

行政書士ADRセンター東京の手続実施者養成研修/育成編に参加しました。専門分野編のときのような研修をイメージしていたのですが、まったく違って、前に受けた3期生の基礎編のときのトレーナーたちが座っていたので、ビックリしました。なんと、トレーナーになるための育成編だったのです。会場は、行政書士会館の4階会議室で、参加者は、10名です。驚いたことに、基礎編、中級編、上級編(自己研鑽・外部トレーニング参加)を終了した後の育成編だったのです。一応、参加のためのFAXは前に送っていたのと、効果測定範囲として指定された5冊の指定文献は読んできていたので、帰るに帰れず、やむなく席に座りました。

1時間の講義後、休憩のときに、そっと「間違えたようだ」いったのですが、「遠慮しないで最後までいてかまわない」といわれました。そこで、観念して、最後の効果測定まで残ることにしました。センター長の講義のレベルが高いので、最初のうちは、ついていけなかったのですが、だんだんに流れがつかめるようになりました。要は、人を教育しようとする者は、自分なりの目的を持って、自分自身をつねに高める努力をしなければならないということです。そして、育成編の研修を終了してから、また、理論と技術を体得して基礎編に返るのです。

トレーナーを志すためには、「四不像」として、カウンセリングの技法、コーチングのスキル、交渉理論、そしてなによりファシリテーションの手法を学ばなければならないようです。さらに、哲学の素養も必要になると聞くと、道ははるかに遠いのですが、やり始めた以上は、とりあえず前に進むしかないような気になりました。確かに、本を読んでわかったつもりになっていても、実際の場面で使えなければ意味がありません。それには、失敗できるトレーニングを通して、身体に覚え込ませなけなければならないということなのです。

アクティブ・リスニングのトレーニングで、センター長に問われたことに答えられなかったのですが、答えを教えてもらったら、なんとも簡単な「キーワード」という言葉を聞かれていました。行政書士会のADRセンターが、いつ認証されるのか、まだわかりませんが、その日に備えての実践トレーニングが必要なことを実感したつもりです。将来、調停人として役に立つには、ADRの制度設計も知らなければならないだろう、と安易に考えて参加したのですが、場違いのところに座ったために、どうやらトレーナーたちの真剣さのお裾分けをいただけたようです。

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2008年12月15日 (月)

小さな窓

チラシのコラム

茨木のスーパーの折込チラシに載せたコラムを集めたという本があります。禅僧形山睡峰が、そのコラムを書いています。一週間に一度、配られるチラシのコラムが、口コミで読者が広がり、今では、チラシ発行を続けてほしいという要望が、スーパーに届くほどになったそうです。チラシに開いた「小さな窓」が顧客の心をつなぎとめたということです。

イギリスの文豪サマセットモームが、一番嬉しかったことは、「あなたの作品を読んだが、一度も辞書の世話にならないで読めました。ありがとう」という手紙を、太平洋戦争に従軍している兵士からもらったこと、だといっています。難しいことを易しく書くというのは、思いやりと血のにじむような苦心がいります。どんな人にもわかるように書けるというのは、高ぶった心が少しもないからこそできることなのです。

親の役目は、親が死んだ後に、一人で生きていかなければならない子どものために、必要なことをすべて伝えることです。子どもに自立心をつけるのが、子育てということです。ところが、可愛い、可愛いと子どもの嫌がることをすべて親が背負ったばかりに、自立しない子どもがいます。さらに、「そんな子どもを預ってくれという親がいるけれども、なぜ他人まかせにするのだろうか?子どもというのは、いつも親を見ているのだから、そんな親こそ修行しなければならないのだ」といっています。そこまで行かない前に、親が気づかないと、後で、子どもが大変な苦労をしなければならないということです。

不況の時に、部下に独創的な意見を出すように求めるのは、とても難しいことだといっています。大多数の上司が、部下に寛容でないことを、下の者はよく知っているからです。だから、日本の会社では、偉い人の命令には反対しないという習性を持っているのだから、トップが、独創力を持って、部下が思いもつかないようなアイデア出して、それを押しすすめなければならないのです。日本では、トップ以外に組織を活性化させ、良くする者はいないとまでいっています。今のような不況の時こそ、トップの力量が試されるいい機会だということです。

NHKしか見せないようにすると、子どものイライラがなくなり、長時間集中することができるようになったといっています。そのイライラの原因は、コマーシャルでチャンネルを切替えられないように、民放テレビ局が、いかに視聴者を飽きさせないかを競うようになったからでした。多数のタレントたちが集まって、ワイワイお祭り騒ぎをして、退屈させないようにしているのです。確かに、それも原因の一つかもしれません。でも、同じ人間である親は、イライラしなかったのでしょうか?また、コマーシャルはありませんが、NHKもお祭り騒ぎが好きになったような気がします。やはり、テレビは、見ない見せない方が、親子のイライラがなくなるのではないでしょうか?

”<人生に迷ったときのヒント>から引用しました”

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2008年12月 4日 (木)

禅宗の歴史

日中の仏教交流の歴史

日本の禅宗の歴史は、鎌倉時代、京都建仁寺の開山明庵栄西が中国から伝えたとされています。しかし、どうもかなり早い時期、奈良・平安時代から、日本仏教は、禅に触れてきたようです。6世紀、欽明天皇の頃の仏教伝来以来、仏教は、だんだんに日本的に変容しますが、おりにふれて禅宗も伝えられていたようなのです。ですから、鎌倉時代に中国禅宗が本格的に流入してからの興隆には、そうした前提があったからともいえます。

臨済宗東福寺派の虎関師錬が著した日本最初の仏教史書「元亨釈書」には、禅宗の初祖達磨が、聖徳太子に路傍に横たわった飢人の姿で出会った、という伝説が採録されています。また、苦難を乗り越えて渡来した鑑真も、確かにこの伝承を知っていたようです「唐大和上東征伝」。

最澄は、日本天台宗の4つの教えを、法華円経・菩薩戒・禅・密教としました。そこで、比叡山の仏教に、禅の伝統が含まれることになって、鎌倉時代の禅の隆盛を誘発する要因になりました。その後も、最澄以後に入唐した円仁や円珍なども禅宗典籍を持ち帰るなどしています。

最澄と同時期に真言密教を学びに入唐した空海が、帰国して、中国禅宗の興隆を嵯峨天皇などに語ったので、馬祖系の直系である義空が招かれて日本に来ています。また、日本人最初の禅僧として、瓦屋能光が、入唐して洞山良价の法を嗣ぎ、蜀で亡くなったことが伝えられています。

日本禅宗の初祖とされる栄西は、後に道元などが伝えた純粋禅ではなく、台密という基盤の上に禅を受法した密禅併修と考えられています。禅は、もともと最澄が唱えた四宗相承という日本天台宗の中にあって、平安末期に至って廃絶していたのであり、栄西は、それを再興したいと主張したのです。

燈史(中国禅宗の公式記録)に悟りの機縁を示す偈頌が収録された覚阿などもいました。その他、栄西と同時期に活躍した達磨宗の大日坊能忍がいましたが、その法を継承した懐奘や達磨宗徒は、後に道元に集団帰投して、日本曹洞宗に同化してしまいました。ただし、達磨宗の密教的な禅自体は、摂津三宝寺で、独自の舎利信仰を保っていたという資料が残っています。

”<日本禅宗の伝説と歴史>から引用しました”

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