太刀は兵法の起る所也
離れられない剣と禅
「現在行なわれている剣道は、明和、安永頃からはじめられた一種の末技的な促成法であって、日本固有の剣法の真姿は全く失われてしまっている。・・・榊原鍵吉、山岡鉄舟を殿後の2名人として、日本固有の剣法は幕を閉じたとみるべきであろう」
剣道は、刀剣を離れては考えられません。剣の道は、日本刀とともに起こり、日本刀を中心として発達したものなのです。古代の日本人は、刀剣を神から発したものと考えていましたから、刀剣に対して深い尊敬をもち、神器として尊び、武士の魂として重んじたのです。ですから、自らの魂と畏敬する「刀の手前」に対しては、あくまでも恥なきを期し、身命をかけることも辞さなかったのです。「刀の手前」は、剣の道を規制し、剣者の生涯をも律していました。その意味からは、一如した心・息・身が、渾然として剣そのものの中に姿を没し去ることが剣の道なのです。
戦国の末期までは、剣法の要は、撃刺の技よりも、精神の安定不動が狙いだったそうです。剣の技術など無視して、武運まかせ腕力まかせだったのですが、ひそかに剣法を修業していると、息切れしないという利点だけは知っていたようです。だんだんに世の中が平穏になるにつれて、その効果ある実地鍛錬の機会がなくなってきました。そこで、剣法の師範家や流派が勃興したのです。さらに、鉄砲の出現によって、甲冑着用の介者剣法から、素肌剣法に変わりました。消極的な防御本位の「構え」に依存する「後の太刀」から、積極的な攻勢を主体とする、構えはあっても無しとする「先の太刀」への転換です。
針谷夕雲は、「己れに劣るものに勝ち、まされるに負けて、同じようなるには相打より外はなくて、一切埒のあかぬ」ものとして、それを畜生剣法として罵倒しています。人間の剣の道ではないというのです。勝負の道である以上、敵と我、勝と敗、生と死というような2つの相矛盾するものが、常に対立しています。しかし、夕雲は、千錬万鍛の結果、その相対的な分別界を越えたのです。「凡そ太刀を取て敵に向はゞ、別の事は更になく、其間遠くば太刀の中る所迄行くべし。行付きたらば打つべし。其間近くば其儘打つべし。何の思惟も入るべからず」と畜生心の妄想を否定し、住するところのない境涯に達したのです。
鉄舟からではないかと筆者がいう独妙剣という無刀流の組太刀の極意があります。「太刀を青眼に構えて、ジッと立っているところへ、敵がスッと出てきて面上を一撃するが、心も身も微動もしない。敵刀は当たらずそのままわが前に落ち、敵は尾を巻いて去る。その退いてゆく敵に追い討ちをかけるでもなく、追ってゆくでもない。依然として青眼のままジッと立っていいるだけである。この独妙剣に至っては、剣禅一如というも当たらない。それは既に剣にして剣にあらず、禅であって禅ではない。剣禅を絶した至境というのほかはない」
”<剣と禅>大森曹玄から引用しました”
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