蚊弟子
長く続けること
剣道や柔道には、蚊弟子という言葉があるそうです。「たいした願心もなくフラフラッと入門したのだから、やがて秋風の身にしみる季節、つまり蚊もいなくなるころになると、いつしか足も遠のいて蚊とともに道場を去る。翌年の気候のいいころになって、開け放たれた武者窓から元気のいいかけ声が流れてくると、病気だったもので・・・とか何とかいって再び稽古に通いはじめる。要するに、蚊とともに出席したり欠席したりする意志弱行の徒が蚊弟子というものであろう」
スポーツクラブでも、春から夏にかけて徐々に薄着になるので、体形が気になるせいか、新規会員が増えたり、既存会員の通ってくる回数が増えたりする現象が見られます。ちょうど蚊弟子のようなもので、それも秋とともに消えてしまいます。毎日通っている常連会員同士の会話を聞いていると、たまに1週間くらい休んだりすると、元の体形に戻すのには、相当な日数がかかるそうです。ですから、急に運動をはじめたとしても、体形が変わったとは、ほとんどわからないのではないでしょうか。
風呂会員といって、運動はあまりしないで、毎日お風呂を楽しみに通ってくる常連がいます。会費を日数で割れば、近所の銭湯よりも安いし、サウナもあるし、シャワーの水も気にしないで使えるからなどと、それなりの理屈づけをしています。そして、時間帯は、毎日決まっていますから、誰がどの位置で座って洗うかもだいたい決まっているようです。風呂だけでも毎日通っていれば、一応体形もお互いにチェックできますし、仲間としての会話も弾みます。なにしろ、何も身に着けていなのですから、本当の裸のつきあいなのです。
「坐禅を継続実行するにはこの道に対する愛好心をもつこと。そしてさらにその愛好心をつねにより助長するように心がけることが必要である。けれども、いくら愛好心をもっていても、長期実行には当然ある程度の苦しみも伴うことを忘れてはなるまい」
せぬときの坐禅として、「何事かをしようとするには、思い立ったらそのまま分別なしにするのがいい。あとで・・・などと思うのはよくない。外出しようという機(気)が動いたらそのままふと出ていくことだ。あとにしようなどと思い直してはいけない。・・・万事このように無分別でやる習慣をつけると、存外心のかるくなるものだ」(正三老人) ここでの無分別とは、分別しないことでもなければ、分別する能力を無視することでもありません。それどころか、かえって、分別に徹底して、分別に成りきることです。仁王の機の張りつめた位、充実しきった心境で、そのもの、そのことに体当たりしていくことです。
”<参禅入門>大森曹玄著から引用しました”
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